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January 25, 2005

子供というのは普通に産まれてくるものと思っていた・完

 娘の卒園式、喜びでいっぱいのはずだった。誇らしげな気持ちで卒園するつもりだった。だが当日、不安だけが心をしめていた。
 式の後、ロビーで最後まで残っていた。来年度のあゆの子はいっぱい、頼りの綱のめだかグループもいつ始まるか分からない。ただ一年間、あゆの子に入れるまで待たなくてはならないのが歯がゆかった。外来のめだかグループも一人では始められない。ただ待つしか無かった。
 息子の笑顔が救いだった。笑顔の強さ、笑顔の貴重さに気付いた。
 そして、先生方に相談出来たのはあり難かった。孤立する事無く、頭を切り替えて今出来る事に専念する事が出来た。娘の送り迎え、息子の三歳児健診、多摩療育園の初診、検査、夏には息子のベビーカーを卒業。医療センターのぴかぴかグループにも参加した。六月からは待望のあゆの子外来めだかグループも始まった。
 が、また大きな問題が発生した。娘のお迎えの時間と息子のめだかグループの始まりの時間が一緒になってしまった。当初、娘を早帰りさせ心障センターに連れて行ったが、水曜の五時間目は畑の作業が多く貴重な体験の機会を無くすのは惜しい。月一回程度ならまだしも、多い月では三回もある。あまりにも娘に影響がありすぎる。
 これはヘルパーさんを頼むしかないと考えた。何かあった時のためにNGOに登録しておいた。使い時だと思った。一時間千二百円は大きいが、貴重な経験には変えられない。
 その時、行幸が訪れた。お向かいの奥さんに話した所、その奥さんが娘をお迎えして心障センターまで送ってくれる事となった。
 学校の連絡帳に書き、心障センターの受付職員の先生に、娘がお向かいの奥さんと後から来る旨を伝えた。その時聞かれた。
「ヘルパーさんではなくて近所の方ですか?」
「はい、ここに来たらめだかの託児の部屋に案内してください」
「本当に近所の方ですか?」
 受付の中がざわついている。何事かと思った。その中で年長の女性職員の方が言った。
「こんなの初めて聞いたわ」
 障害を持った子供の送り迎えにヘルパーさんや親類以外の人が携わるのは皆無との事だった。ボランティアの方も居るが、近所の方がそれを引き受けてくれるのは極めて珍しい事だったらしい。
 結局、お隣さんまで加わって頂き、十一月まで助けて頂いた。感謝の一言に尽きる。その後、お向かいの奥さんも就職活動を始め、お隣の奥さんも働く事となりいよいよヘルパーさんに頼むしかない状態となった時、更なる行幸が訪れた。
 十月のある日、心障センターから電話がきた。引越しによる欠員が出て、唯一の前年度からの待機児童である息子が入れる事となった。
「医師面接の終わって十二月からですが、どうですか?」
「がんばります」
 先生からの電話に力いっぱいの声で答えた。この上も無く嬉しかった。
このニュースに旦那さんも大喜びだった。
 不安定だった息子も、夏にプール遊びをたくさんした頃から安定し始め、やや崩れやすいものの以前より生活しやすくなった。エレベーター・エスカレーター・自動ドアに異常な執着心をみせるもののパニックそのものは減った。新しい生活を始めるのには丁度良い頃のようにも思えた。
 十一月中に医師面接を受けた。娘があゆの子の時にも定期的に見ていただいた先生なので、楽しく話しが出来た。そこで内定を受けた。
 正式な通所許可は所長の許可が必要との事だったが、保育所のように取り消される事は無いと確信していた。息子の問題が明らかになった時、心配してくれた多くの人の一人だったし、取り消される要因も思い当たらなかったからだ。
 ホッとした。ようやく、それでも娘の時よりも早く療育を始められることとなった。
 そして、十二月から息子のあゆの子が始まった。

 状況を考えると、良い時期だった。娘も学校になれ親にも余裕が出てきて、息子を連れての送り迎えも何とかなれた。正直、一学期は辛かった。朝早く学校まで送り、お迎えも早く、給食が始まったのはゴールデンウィークが終わってからで、私自身が生活そのものになれるのに時間が掛かったからだ。
 いくら慣れたとは言え、息子の通所は時間的に厳しい。娘を送ってからいったん家に帰り洗濯物を干し、直ぐに家を出なくてはならない。息子の体力的なことも考えると、移動にはかなり無理がある。
 それでも、十二月中はコミュニティバスの試験運用があって助かったが、それも一月ほどで終わってしまった。そこでセンターのバスを使わせてもらえる事になった。
 多くの助けによって、息子の通所が成り立っていた。
 そして、多くの人から心配してもらった。センターの先生方を始め、あゆの子のお母さん方、特に息子の成長を見守ってくれていた卒退園したお母さん方は、親以上にショックを受けた様子の方もいた。これ程までに多くの方々に見守られ気にかけてもらいながら育っていける息子は恵まれた子だと思う。
 その上、あゆの子に楽しく通う息子はとても幸せそうだ。
 娘にしても、学校が楽しくて元気に通う姿はとても幸せそうだ。
「障害は不便である。しかし、不幸ではない」ヘレン・ケラーの言葉が、かの乙武洋匡さんの書にあった。
 まさしくそう思う。障害は不便を強いるが、家の子ども達は不幸ではない。楽しそうに生活している。
 何を指して幸不幸を決めるのだろう。たとえ身体的にも発達的にも遺伝子的にも問題無かったとしても、本当に幸せそうに暮らしている子どもはどれ程いるだろう。
 生きるという事、生活するという事、その意義を改めて考えた。
 人は何故生きるのか考えた事はあったが、意義を考えた事は無かった。子供達がいなければ何も考えはしなかっただろう。
 自分で生活をして、充実した人生を送る。その重み。
 どうしたら自立して充実した人生を送れるだろうか。そもそも、充実した人生とは?

 自閉症はたくさんの小さな援助を必要とする障害だ。せめて自分の事は自分で出来るようにしていきたいが、親の思うようにはいかないだろう。
 では、その中でどうしたら生活しやすい環境を整えてあげられるのだろうか。
 今は、子ども達を受け入れてもらえる場が増えるようにしている。お向かいやお隣はもちろん近所の方には子ども達の事は伝えてある。よく行くスーパーにも子ども達の事は伝えてありレジの人も話しかけてくれる。娘の美容院は、かつての公園友達のお母さんが開いたお店に決まった。暖かく迎えてくれるので安心だし、家から歩いて三分もかからない場所だ。かかりつけの病院も近所の先生の所に行っている。自閉症に理解があり対応もしっかりしているし、いつでも優しく迎えてくれる。歯医者さんも決まった。自閉症には詳しくないが、丁寧に働きかけてくれる。眼科、耳鼻科も近所で、どちらも子ども達を受け入れてくれる。
 あゆの子のお父さんに「どうせ理解してもらえないから言わない」という方がいらしたが、私はその考えを否定する。たとえ百人の人に話して九十九人が理解してくれなくても、一人が理解してくれればゼロではなくなる。直接世界を広げるのは親しか出来ない事なのに、親があきらめてはいけないと思う。
 現に、理解し受け入れてくれる人たちがいるのだから。
 初めて娘を歯医者さんに連れて行った時だ。
「自閉症で難しい所がありますがよろしくお願いします」
 と言った時、担当の医師はこう聞いてきた。
「何時から自閉症ですか?」
「先天的なものなのであえて言うとすれば、産まれた時から自閉症です」
 医師の動きが一瞬止まったが、次にこう言ってくれた。
「失礼しました。やれるところからやっていきましょう」
 自閉症は知らなくとも、丁寧にゆっくりと治療してくれた。
 こちらが歩みよらなくては何も変わらない。彼らを受け入れて見守ってくれる世界が必要なのだから。
 援助が必要な事を恥じる必要は無いはずだ。人は誰でも理解と援助を必要としている、もしくは必要とするはずなのだから。
 事故や病気で障害を負う事がある。障害を負うまで行かないまでも怪我や病気は誰でもする。老いも必ず訪れる。人それぞれの立場で困難や負担があり、形や程度は違うが皆何かしら理解と援助を必要としている。特別な事ではない。

 多くの助けを必要とするこの子達からどれ程多くの事を学んだだろう。どれ程多くの出会いを得られただろう。
 自然の摂理から考えれば淘汰されるのが流れなのかもしれない。でも、私は彼らを否定しない。存在の意義を何よりも私自身が感じるのだから。親だからかもしれない。私自身が淘汰される可能性があるものだからかもしれない。

 でも、必要とする者がいる限り彼らの存在に意味がある。
 君達は必要とされて此処に在ると伝えたい。
 いつか伝わると信じたい。

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Tracked on June 28, 2007 at 01:54 PM

Comments

全部読ませて頂きました。
あの、“完”でおしまいなのでしょうか?
もっと読ませて頂きたい気分・・・。(^^;

Posted by: 虹父 | January 30, 2005 at 01:15 PM

私自身も生まれ持って障害があります
耳・目・足と健常者の半分の機能しかないのです
でも両親・周りの方々の 語りつくせないほどの助けで
明るく元気に暮らしています
結婚・出産と夢であった事も実現して頑張ってます
二人の子供にも恵まれて毎日が大変ですがねw
上の娘は健常でしたが 下の息子は足の障害があります
しかし それをバネに夢の実現に頑張っています
息子を授かって 障害がわかった時 思いました
”私だから育てられる 私を育ててくれた両親が最高の
お手本”
息子のお蔭で私達夫婦もたくさんの出会いをもらいました
まだまだ一人立ちまで時間はかかりますが
最高の応援団長でいたいと思ってます

文字でしか応援できませんが 頑張り過ぎないように
頑張ってくださいw

Posted by: みやび | May 31, 2005 at 10:14 AM

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